軽便鉄道が走る!

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24日と25日の両日は大イベントがありました。
39年ぶりにあの「軽便」が走ったのです。
お祝いの日には、全国から鉄道フアンが集合しました。
「上越タイムス」で知りましたが二年前には
今をときめく「前原国交大臣」が糸魚川の鉄道
フアンの案内で訪れていたのです。
凄いですね。
コッペル.jpg
知り合いの記者も神妙な顔です。
09kopperu2.jpg 09kopperu3.jpg
このイベントですが、レール敷きから大変な御苦労です。
「百間町お宝を残す会」の皆さん!ご苦労様!
「軽便」は懐かしいし、でも夢がありますね。
コッペル.jpg
実際に動く迫力は格別です。
コッペル.jpg
私達夫婦は餅つきと販売で大忙しでした。
このレポートは後日また掲載します。
 

コメント(4)

まさ爺さん
秋本番! 
あちこちでイベントが目白押しですね!
軽便の雄姿を貴方のブログで拝見しました。
私が、東京へ行った頃、新聞の全面にすすき野を走る、軽便の雄姿が載りました。
新潟県の頸城鉄道を引退し、西武(?)か何かの遊園地にて、再び子供達のマスコットとして、登場というものでした。
遊園地の全面広告でした。
東京で、頸城鉄道の軽便が見られ、印象深く記憶に残っています。
その時コペル号という名前が付いていると知りました。
汽車に名前があるとは知りませんでした。
こぺる号は1台のみでしたか?
1台が、浦川原駅 新黒井駅を往復していたのでしょうか?
それとも、服数台あって、ほくほく線虫川大杉駅の様に、
途中駅で通過待ちしていた、ものでしょうか?

何処かの新聞社のバックナンバーに保存されている物と思います。
お宝を残す会に探して貰っては如何でっすか。
読売新聞か?

軽便は、小学校の頃数回乗った記憶があります。
浦川原から新黒井駅まで、走っていましたね。
大池へは、小学校2年の旅行で利用しました。
線路は、途中までは浦川原から大池への保倉川の水を引く様水路と平行して走っていました。
今も線路跡地は、水路の側道として残っているのでは?
新聞によると、こぺる号はディーゼル機関車との事、煙突から煙を吐いていますね!

こんばんは
この企画 写真撮るにはもってこいでしたね
最近 こんな事ばかり考えています。
異常でしょうか?? (笑い

浦川原から新黒井駅まで、走っていましたね。
大池へは、小学校2年の旅行で利用しました
>としさんお早うございます。
軽便は曽我部さんと言う鉄道マニアの方が
個人で自身の山を切り開いて保管されて
いました。息子さんはクラシックカー
の修理をされていて、無償で提供されました。
地元の皆さんがボランティアで神戸から運んだのです。
まさにロマンです。

最近 こんな事ばかり考えています。
異常でしょうか?? (笑い
>くまこうさん、小生も同じです。
ああ、これなら三日分の記事になる?
・・・とか。
ブログ病ですね。

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このページは、が2009年10月25日 04:15に書いたブログ記事です。

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